弥富「明治の東海道と近代化遺産」写真 2013/7/28

道路原標
民俗資料館前に残る明治時代の道路原標
この場所は元海西郡役所があり、各地との距離を示す基準点として設置された。現在は失われているケースが多いが、これだけ大切に保存されているのは珍しい。
蓮如堂
この付近には寺院が無く、浄土真宗の説教場となっている。現在の建物は戦後勝幡から移築。
ふたつやの渡し跡
前ケ須にあり明治の東海道はここから対岸の長島・押付まで木曽川を船で渡る。
子育て地蔵
もとは長島にあり、一向一揆の際に信長軍からの攻撃に子供達を守ったと伝わるお地蔵様であった。ある時、前ケ須の若者が対岸の長島へ遊びに行った帰りに持ち帰ってきてしまった。すぐ返したのだがお地蔵様は前ケ須に住みたいと言われるのでこの地でお祀りするようになったと伝わる地蔵堂
筏橋
筏川に架かる水門を兼ねた橋梁、水門部は明治時代の建造物
竹長押茶屋(弥富市文化財)
前ケ須佐藤家の茶室で名古屋城御深井丸の茶室を移築したもの。長押に二つ割りの竹を使用していることからこの名がある。明治13年の明治天皇巡幸に際し、御小休所として使われた。
個人住宅のため内部は非公開であった。
水郷の塔
尾張大橋緑地公園の展望塔
尾張大橋
水郷の塔からの眺め、真夏日でガスが多く背後の多度山は見えなかった。
尾張大橋は昭和8年の竣工。
立田輪中人造堰樋門(弥富市文化財、近代化産業遺産)
明治35年上流の立田輪中の排水のために設置された樋門。のち鍋田川の水位が高くなり機能しなくなったが
近代化産業遺産として輪中公園内に保存されている。
立田輪中人造堰樋門は石灰と砂を固めた「たたき工法」(人造石ともいう)で造られていることを示す上部のモルタル剥離箇所。
六門橋
筏川へ排水する樋門。煉瓦造の手前3門は明治の建築で、やはり「たたき工法」で造られている。
上部は人が通行できる。
山口誓子句碑
「群金魚曲流なして槽廻る」昭和61年に詠まれた。
碑の周りの石張りは句のイメージを表している。